2012年8月28日火曜日

内村さんのデンマークの話まとめ。

ちょっと長いかもしれませんが、最後の方を読まれると、内村さんの言いたい事がわかってくると思います。

信仰心というものが、国をどう動かして行ったか。敗戦後の日本と重なって思えたような気がします。

私は宗教というものをあまり信じる方ではないけれど、信仰心というものがどう影響するかってことにはとても興味があります。

また内村さんの本を紹介していこうと思いますが、今回は少し読みやすくするために、改行を入れたり、フォントを見やすくかえてみました。

前回よりも文体も読みやすく、しかも内容もとても面白いので、何度でも読めてしまうのではないでしょうか。

2012年8月26日日曜日

デンマルク国の話、その17

第三に信仰の実力を示します。国の実力は軍隊ではありません、軍艦ではありません。はたまた金ではありません、銀ではありません、信仰であります。このことにかんしましてはマハン大佐もいまだ真理を語りません、アダム・スミス、J・S・ミルもいまだ真理を語りません。このことにかんして真理を語ったものはやはりふるい『聖書』であります。


もし芥種からしだねのごとき信仰あらば、この山に移りてここよりかしこに移れとうとも、かならず移らん、また汝らにあたわざることなかるべし

とイエスはいいたまいました(マタイ伝一七章二〇節)。また
おおよそ神によりて生まるる者は世に勝つ、われらをして世に勝たしむるものはわれらの信なり

と聖ヨハネはいいました(ヨハネ第一書五章四節)。世に勝つの力、地を征服する力はやはり信仰であります。ユグノー党の信仰はその一人をもってすき樅樹もみのきとをもってデンマーク国を救いました。よしまたダルガス一人に信仰がありましてもデンマーク人全体に信仰がありませんでしたならば、彼の事業も無効に終ったのであります。この人あり、この民あり、フランスより輸入されたる自由信仰あり、デンマーク自生の自由信仰ありて、この偉業が成ったのであります。宗教、信仰、経済に関係なしととなうる者は誰でありますか。
宗教は詩人と愚人とにくして実際家と智者に要なしなどと唱うる人は、歴史も哲学も経済も何にも知らない人であります。国にもしかかる「愚かなる智者」のみありて、ダルガスのごとき「さとき愚人」がおりませんならば、不幸一歩を誤りて戦敗の非運に遭いまするならば、その国はそのときたちまちにして亡びてしまうのであります。国家の大危険にして信仰を嘲りこれを無用視するがごときことはありません。私が今日ここにお話しいたしましたデンマークとダルガスとにかんする事柄は大いに軽佻浮薄けいちょうふはくの経世家をいましむべきであります。

2012年8月25日土曜日

デンマルク国の話、その16

第二は天然の無限的生産力を示します。富は大陸にもあります、島嶼とうしょにもあります。沃野にもあります、沙漠にもあります。大陸のぬしかならずしも富者ではありません。小島の所有者かならずしも貧者ではありません。善くこれを開発すれば小島も能く大陸にさるの産を産するのであります。
ゆえに国の小なるはけっしてなげくに足りません。これに対して国の大なるはけっして誇るに足りません。富は有利化されたるエネルギー(力)であります。しかしてエネルギーは太陽の光線にもあります。海の波濤なみにもあります。吹く風にもあります。噴火する火山にもあります。もしこれを利用するを得ますればこれらはみなことごとく富源であります。かならずしも英国のごとく世界の陸面六分の一の持ち主となるの必要はありません。デンマークで足ります。しかり、それよりも小なる国で足ります。そとひろがらんとするよりはうちを開発すべきであります。

2012年8月24日金曜日

デンマルク国の話、その15

今、ここにお話しいたしましたデンマークの話は、私どもに何を教えますか。

 第一に戦敗かならずしも不幸にあらざることを教えます。国は戦争に負けても亡びません。実に戦争に勝って亡びた国は歴史上けっしてすくなくないのであります。国の興亡は戦争の勝敗によりません、その民の平素の修養によります。善き宗教、善き道徳、善き精神ありて国は戦争に負けても衰えません。いな、その正反対が事実であります。牢固ろうこたる精神ありて戦敗はかえって善き刺激となりて不幸の民を興します。デンマークは実にその善き実例であります。

2012年8月23日木曜日

デンマルク国の話、その14

かくのごとくにしてユトランドの全州は一変しました。すたりし市邑しゆうはふたたび起りました。新たに町村は設けられました。地価は非常に騰貴とうきしました、あるところにおいては四十年前の百五十倍に達しました。道路と鉄道とは縦横たてよこに築かれました。わが四国全島にさらに一千方マイルを加えたるユトランドは復活しました、戦争によって失いしシュレスウィヒとホルスタインとは今日すでにつぐなわれてなお余りあるとのことであります。

 しかし木材よりも、野菜よりも、穀類よりも、畜類よりも、さらに貴きものは国民の精神であります。デンマーク人の精神はダルガス植林成功の結果としてここに一変したのであります。失望せる彼らはここに希望を恢復しました、彼らは国をけずられてさらに新たに良き国を得たのであります。しかも他人の国を奪ったのではありません。己れの国を改造したのであります。


自由宗教より来る熱誠と忍耐と、これに加うるに大樅
おおもみ小樅こもみの不思議なる能力ちからとによりて、彼らの荒れたる国を挽回ばんかいしたのであります。


ダルガスの他の事業について私は今ここに語るの時をもちません。彼はいかにして砂地すなじを田園に化せしか、いかにして沼地の水をはらいしか、いかにして磽地いしじひらいて果園を作りしか、これ植林に劣らぬ面白き物語ものがたりであります。これらの問題に興味を有せらるる諸君はじかに私についてお尋ねを願います。

2012年8月21日火曜日

デンマルク国の話、その13

しかし植林の善き感化はこれにとどまりませんでした。樹木の繁茂は海岸より吹き送らるる砂塵すなほこりの荒廃をめました。北海沿岸特有の砂丘すなやまは海岸近くに喰い止められました、もみは根を地に張りて襲いくる砂塵すなほこりに対していいました、

ここまではきたるをべし
しかしここを越ゆべからず

と(ヨブ記三八章一一節)。北海にひんする国にとりては敵国の艦隊よりも恐るべき砂丘すなやまは、戦闘艦ならずして緑の樅の林をもって、ここにみごとに撃退されたのであります。

 霜は消え砂は去り、その上に第三に洪水の害は除かれたのであります。これいずこの国においても植林の結果としてじきに現わるるものであります。もちろん海抜六百尺をもって最高点となすユトランドにおいてはわがくにのごとき山国やまぐににおけるごとく洪水の害を見ることはありません。しかしその比較的に少きこの害すらダルガスの事業によって除かれたのであります。

2012年8月20日月曜日

デンマルク国の話、その12

しかし植林の効果は単に木材の収穫にとどまりません。第一にその善き感化をこうむりたるものはユトランドの気候でありました。樹木のなき土地は熱しやすくしてめやすくあります。ゆえにダルガスの植林以前においてはユトランドの夏は昼は非常に暑くして、夜はときに霜を見ました。


四六時中に熱帯の暑気と初冬の霜を見ることでありますれば、植生はたまったものでありません。その時にあたってユトランドの農夫が収穫成功の希望をもってゆるを得し植物は馬鈴薯、黒麦、その他少数のものに過ぎませんでした。しかし植林成功後のかの地の農業は一変しました。夏期の降霜はまったくみました。


今や小麦なり、砂糖大根なり、北欧産の穀類または野菜にして、成熟せざるものなきにいたりました。ユトランドは大樅おおもみの林の繁茂のゆえをもって良き田園と化しました。木材を与えられし上に善き気候を与えられました、植ゆべきはまことに樹であります。

2012年8月19日日曜日

デンマルク国の話、その11

若きダルガスはいいました、大樅がある程度以上に成長しないのは小樅をいつまでも大樅のそばにはやしておくからである。もしある時期に達して小樅をり払ってしまうならば大樅はひとり土地を占領してその成長を続けるであろうと。
しかして若きダルガスのこの言を実際にためしてみましたところが実にそのとおりでありました。小樅はある程度まで大樅の成長をうながすの能力ちからを持っております。しかしその程度に達すればかえってこれを妨ぐるものである、との奇態きたいなる植物学上の事実が、ダルガス父子によって発見せられたのであります。


しかもこの発見はデンマーク国の開発にとりては実に絶大なる発見でありました、これによってユトランドの荒地挽回ばんかいの難問題は解釈されたのであります。


これよりして各地に鬱蒼うっそうたる樅の林を見るにいたりました。一八六〇年においてはユトランドの山林はわずかに十五万七千エーカーに過ぎませんでしたが、四十七年後の一九〇七年にいたりましては四十七万六千エーカーの多きに達しました。しかしこれなお全州面積の七分二厘に過ぎません。さらにダルガスの方法にしたがい植林を継続いたしますならば数十年の後にはかの地に数百万エーカーの緑林を見るにいたるのでありましょう。
実に多望といいつべしであります。

2012年8月18日土曜日

デンマルク国の話、その10

しかしダルガスの熱心はこれがためにくじけませんでした。彼は天然はまた彼にこの難問題をも解決してくれることと確信しました。ゆえに彼はさらに研究を続けました。しかして彼の頭脳あたまにフト浮び出ましたことはアルプス産の小樅こもみでありました。もしこれを移植したらばいかんと彼は思いました。しかしてこれを取りきたりてノルウェー産の樅のあいだに植えましたときに、奇なるかな、両種の樅は相いならんで生長し、年を経るも枯れなかったのであります。ここにおいて大問題はけました。ユトランドの荒野に始めて緑の野を見ることができました。緑は希望の色であります。ダルガスの希望、デンマークの希望、その民二百五十万の希望は実際に現われました。

 しかし問題はいまだまったく釈けませんでした。緑のはできましたが、緑のはできませんでした。ユトランドの荒地より建築用の木材をも伐り得んとのダルガスの野心的欲望は事実となりて現われませんでした。もみはある程度まで成長して、それで成長を止めました、その枯死かれることはアルプス産の小樅こもみ併植へいしょくをもってふせぎ得ましたけれども、その永久の成長はこれによって成就とげられませんでした。「ダルガスよ、汝の預言せし材木を与えよ」といいてデンマークの農夫らは彼に迫りました。あたかもエジプトよりのがれ出でしイスラエルの民が一部の失敗のゆえをもってモーセを責めたと同然でありました。しかし神はモーセの祈願ねがいを聴きたまいしがごとくにダルガスの心の叫びをも聴きたまいました。黙示は今度は彼にのぞまずして彼の子に臨みました、彼の長男をフレデリック・ダルガスといいました。彼は父のたちを受けて善き植物学者でありました。彼はもみの成長について大なる発見をなしました。

2012年8月17日金曜日

デンマルク国の話、その9

まず溝を穿うがちて水を注ぎ、ヒースと称する荒野の植物を駆逐し、これに代うるに馬鈴薯じゃがたらいもならびに牧草ぼくそうをもってするのであります。このことはさほどの困難ではありませんでした。


しかし難中の難事は荒地に樹を植ゆることでありました、このことについてダルガスは非常の苦心をもって研究しました。植物界広しといえどもユトランドの荒地に適しそこに成育してレバノンの栄えをあらわす樹はあるやなしやと彼は研究に研究を重ねました。


しかして彼の心に思い当りましたのはノルウェー産のもみでありました、これはユトランドの荒地に成育すべき樹であることはわかりました。しかしながら実際これを試験ためしてみますると、思うとおりには行きません。樅はえはえまするが数年ならずして枯れてしまいます。ユトランドの荒地は今やこの強梗きょうこうなる樹木をさえ養うに足るの養分をのこしませんでした。

2012年8月16日木曜日

デンマルク国の話、その8

ユトランドはデンマークの半分以上であります。しかしてその三分の一以上が不毛の地であったのであります。面積一万五千平方マイルのデンマークにとりましては三千平方マイルの曠野は過大の廃物であります。これを化して良田沃野となして、外に失いしところのものを内にありてつぐなわんとするのがそれがダルガスの夢であったのであります。


しかしてこの夢を実現するにあたってダルガスのるべき武器はただ二つでありました。その第一は水でありました。その第二はでありました。荒地に水をそそぐを得、これに樹を植えて植林の実を挙ぐるを得ば、それでことは成るのであります。ことはいたって簡単でありました。しかし簡単ではあるが容易ではありませんでした。
世にぎょし難いものとて人間の作った沙漠のごときはありません。もしユトランドの荒地がサハラの沙漠のごときものでありましたならば問題ははるかに容易であったのであります。天然の沙漠は水をさえこれにそそぐを得ばそれでじきに沃土よきつちとなるのであります。


しかし人間の無謀と怠慢とになりし沙漠はこれを恢復するにもっとも難いものであります。しかしてユトランドの荒地はこの種の荒地であったのであります。今より八百年前の昔にはそこに繁茂せる良き林がありました。しかしてくだって今より二百年前まではところどころに樫の林を見ることができました。しかるに文明の進むと同時に人の欲心はますます増進し、彼らは土地より取るにきゅうにしてこれにむくゆるにかんでありましたゆえに、地は時を追うてますます瘠せ衰え、ついに四十年前の憐むべき状態ありさまに立ちいたったのであります。


しかし人間の強欲をもってするも地は永久に殺すことのできるものではありません。神と天然とが示すある適当の方法をもってしますれば、この最悪の状態においてある土地をも元始はじめの沃饒に返すことができます。まことに詩人シラーのいいしがごとく、天然には永久の希望あり、壊敗はこれをただ人のあいだにおいてのみ見るのであります。

2012年8月15日水曜日

デンマルク国の話、その7

しかしダルガスはただに預言者ではありませんでした。彼は単に夢想家ゆめみるものではありませんでした。工兵士官なる彼は、土木学者でありしと同時に、また地質学者であり植物学者でありました。彼はかのごとくにして詩人でありしと同時にまた実際家でありました。


彼は理想を実現するの
すべを知っておりました。かかる軍人をわれわれはときどき欧米の軍人のなかに見るのであります。軍人といえば人を殺すの術にのみ長じている者であるとの思想は外国においては一般に行われておらないのであります。

2012年8月14日火曜日

デンマルク国の話、その6

「今やデンマークにとり悪しき日なり」と彼の同僚はいいました。
「まことにしかり」とダルガスは答えました。
「しかしながらわれらは外に失いしところのものを内において取り返すをべし、君らと余との生存中にわれらはユトランドの曠野を化して薔薇バラの花咲くところとなすを得べし」と彼は続いて答えました。


この工兵士官に預言者イザヤの精神がありました。彼の血管に流るるユグノー党の血はこの時にあたって彼をして平和の天使たらしめました。他人の失望するときに彼は失望しませんでした。彼は彼の国人が剣をもって失ったものをすきをもって取り返さんとしました。今や敵国に対して復讐戦ふくしゅうせんを計画するにあらず、すきくわとをもって残る領土の曠漠と闘い、これを田園と化して敵に奪われしものを補わんとしました。まことにクリスチャンらしき計画ではありませんか。真正の平和主義者はかかる計画に出でなければなりません。

2012年8月13日月曜日

デンマルク国の話、その5

越王勾践こうせん呉を破りて帰るではありません、デンマーク人は戦いに敗れて家に還ってきました。還りきたれば国は荒れ、財は尽き、見るものとして悲憤失望の種ならざるはなしでありました。「今やデンマークにとり悪しき日なり」と彼らは相互に対していいました。この挨拶あいさつに対して「いな」と答えうる者は彼らのなかに一人もありませんでした。


しかるにここに彼らのなかに一人の工兵士官がありました。彼の名をダルガス(Enrico Mylius Dalgas)といいまして、フランス種のデンマーク人でありました。彼の祖先は有名なるユグノー党の一人でありまして、彼らは一六八五年信仰自由のゆえをもって故国フランスをわれ、あるいは英国に、あるいはオランダに、あるいはプロイセンに、またあるいはデンマークに逃れきたりし者でありました。


ユグノー党の人はいたるところに自由と熱信と勤勉とを運びました。英国においてはエリザベス女王のもとにその今や世界に冠たる製造業を起しました。その他、オランダにおいて、ドイツにおいて、多くの有利的事業は彼らによって起されました。ふるき宗教を維持せんとするの結果、フランス国が失いし多くのもののなかに、かの国にとり最大の損失と称すべきものはユグノー党の外国脱出でありました。しかして十九世紀の末に当って彼らはいまだなおその祖先の精神を失わなかったのであります。


ダルガス、としは今三十六歳、工兵士官として戦争に臨み、橋を架し、道路を築き、みぞを掘るの際、彼はこまかに彼の故国の地質を研究しました。しかして戦争いまだ終らざるに彼はすでに彼の胸中に故国恢復かいふくの策を蓄えました。すなわちデンマーク国の欧州大陸につらなる部分にして、その領土の大部分を占むるユトランド(Jutland)の荒漠を化してこれを沃饒よくにょうの地となさんとの大計画を、彼はすでに彼の胸中に蓄えました。ゆえに戦い敗れて彼の同僚が絶望に圧せられてその故国に帰りきたりしときに、ダルガス一人はそのおも微笑えみたたえそのこうべに希望の春をいただきました。

2012年8月12日日曜日

デンマルク国の話、その4

しかるに今を去る四十年前のデンマークはもっとも憐れなる国でありました。一八六四年にドイツ、オーストリアの二強国の圧迫するところとなり、その要求をこばみし結果、ついに開戦の不幸を見、デンマーク人は善く戦いましたが、しかし弱はもって強に勝つあたはず[#「あたはず」はママ]、デッペルの一戦に北軍敗れてふたたびつ能わざるにいたりました。


デンマークは和を乞いました、しかして敗北の賠償ばいしょうとしてドイツ、オーストリアの二国に南部最良の二州シュレスウィヒとホルスタインを割譲しました。戦争はここに終りを告げました。しかしデンマークはこれがために窮困の極に達しました。もとより多くもない領土、しかもその最良の部分を持ち去られたのであります。いかにして国運を恢復かいふくせんか、いかにして敗戦の大損害をつぐなわんか、これこの時にあたりデンマークの愛国者がその脳漿のうしょうしぼって考えし問題でありました。国は小さく、民はすくなく、しかして残りし土地に荒漠多しという状態ありさまでありました。国民の精力はかかるときにめさるるのであります。


戦いは敗れ、国はけずられ、国民の意気鎖沈しなにごとにも手のつかざるときに、かかるときに国民の真の価値ねうちは判明するのであります。戦勝国の戦後の経営はどんなつまらない政治家にもできます、国威宣揚にともなう事業の発展はどんなつまらない実業家にもできます、難いのは戦敗国の戦後の経営であります、国運衰退のときにおける事業の発展であります。戦いに敗れて精神に敗れない民が真に偉大なる民であります、宗教といい信仰といい、国運隆盛のときにはなんの必要もないものであります。


しかしながら国に幽暗くらきのぞみしときに精神の光が必要になるのであります。国のおこるとほろぶるとはこのときに定まるのであります。どんな国にもときには暗黒が臨みます。そのとき、これに打ち勝つことのできる民が、その民が永久に栄ゆるのであります。あたかも疾病やまいの襲うところとなりて人の健康がわかると同然であります。平常ふだんのときには弱い人も強い人と違いません。疾病やまいかかって弱い人はたおれて強い人はのこるのであります。そのごとく真に強い国は国難に遭遇して亡びないのであります。その兵は敗れ、その財はきてそのときなお起るの精力を蓄うるものであります。これはまことに国民の試練の時であります。このときに亡びないで、彼らは運命のいかんにかかわらず、永久に亡びないのであります。

2012年8月11日土曜日

デンマルク国の話、その3

しかるにこのデンマーク本国がけっして富饒の地と称すべきではないのであります。
国に一鉱山あるでなく、大港湾の万国の船舶をくものがあるのではありません。デンマークの富は主としてその土地にあるのであります、その牧場とその家畜と、そのもみ白樺しらかばとの森林と、その沿海の漁業とにおいてあるのであります。


ことにその誇りとするところはその乳産であります、そのバターとチーズとであります。


デンマークは実に牛乳をもって立つ国であるということができます。


トーヴァルセンを出して世界の彫刻術に一新紀元をかくし、アンデルセンを出して近世お伽話とぎばなしの元祖たらしめキェルケゴールを出して無教会主義のキリスト教を世界にとなえしめしデンマークは、実に柔和なる牝牛めうしの産をもって立つ小にして静かなる国であります。

2012年8月10日金曜日

デンマルク国の話、その2

しからばデンマーク人はどうしてこの富を得たかと問いまするに、それは彼らが国外に多くの領地をもっているからではありません、彼らはもちろん広きグリーンランドをもちます。
しかし北氷洋の氷のなかにあるこの領土の経済上ほとんど何の価値もないことは何人なんびとも知っております。彼らはまたその面積においてはデンマーク本土に二倍するアイスランドをもちます。しかしその名を聞いてその国の富饒ふにょうの土地でないことはすぐにわかります。ほかにわずかに鳥毛とりのけを産するファロー島があります。


またやや富饒なる西インド中のサンクロア、サントーマス、サンユーアンの三島があります。これ確かに富のみなもとでありますが、しかし経済上収支相償うことすくなきがゆえに、かつてはこれを米国に売却せんとの計画もあったくらいであります。


ゆえにデンマークの富源といいまして、別に本国以外にあるのでありません。人口一人に対し世界第一の富を彼らに供せしその富源はわが九州大のデンマーク本国においてあるのであります。

2012年8月9日木曜日

デンマルク国の話、その1

今日は少しこの世のことについてお話しいたそうとおもいます。

 デンマークは欧州北部の一小邦であります。その面積は朝鮮と台湾とを除いた日本帝国の十分の一でありまして、わが北海道の半分に当り、九州の一島に当らない国であります。その人口は二百五十万でありまして、日本の二十分の一であります。実に取るに足りないような小国でありますが、しかしこの国について多くの面白い話があります。

 今、単に経済上より観察を下しまして、この小国のけっしてあなどるべからざる国であることがわかります。この国の面積と人口とはとてもわが日本国に及びませんが、しかし富の程度にいたりましてははるかに日本以上であります。その一例をげますれば日本国の二十分の一の人口を有するデンマーク国は日本の二分の一の外国貿易をもつのであります。すなわちデンマーク人一人の外国貿易の高は日本人一人の十倍に当るのであります。もってその富の程度がわかります。ある人のいいまするに、デンマーク人はたぶん世界のなかでもっとも富んだる民であるだろうとのことであります。


「すなわちデンマーク人一人の有する富はドイツ人または英国人または米国人一人の有する富よりも多いのであります。実に驚くべきことではありませんか。」

2012年8月8日水曜日

デンマルク国の話、序章



曠野あれの湿潤うるおいなき地とは楽しみ、
沙漠さばくよろこびて番紅さふらんのごとくにはなさかん、
さかんはなさきて歓ばん、
喜びかつ歌わん、
レバノンのさかえはこれに与えられん、
カルメルとシャロンのうるわしきとはこれに授けられん、
彼らはエホバのさかえを見ん、
我らの神のうるわしきをん。
       (イザヤ書三五章一―二節)

2012年8月7日火曜日

「デンマルク国の話」について

続いては、デンマルク国の話しについて転載してみようと思います。こちらはもうちょっと読みやすくなっているので、楽に読めるかも。

デンマルク、つまり、デンマークの話なんですが、デンマークは私の大好きな国でもあります。

日本からはすごく遠くてあまり馴染みのない国って感じもしますが、私は北欧の国が昔から大好きで、おとぎ話の世界のような、私にとってはあこがれの国といったところです。

私が実際に見た、デンマークは、実は大人の国、洗練されていて、生活水準がすごく高く、高級な服を着ていて、タクシーは全部ベンツ。地方はほとんど見てないので印象があまりないけど、都市部はとてもきれいで住み心地は最高によさそうなところです。

内村さんのデンマークに対する印象にとても興味があります。内村さんの場合は信仰とからめた意見ということになると思いますが、私の場合には単なる観光でしたから、そういう視点から違っているので、また違う印象になっているのではないかと思います。


2012年8月5日日曜日

以上が聖書の読方です

内村さんはとても有名な方ですから、本もたくさんあります。
これまでが聖書の読方というから紹介してみましたが、また次にも彼の本を紹介してみたいと思っています。

ですが、やや読みにくいところがありますね。

無料だから仕方ないけど、読む事ばかりに集中してしまって、これではあまり頭に入ってきません。
もっと現代の口語的な文体だったらよかったなあ。

文句があるやつは本を買え!ってな感じですかね。
でもありがとうございます。参考にさせて頂きます。

2012年8月4日土曜日

内村鑑三の「聖書の読方」その9

然るに今時いまの聖書研究は如何? 今時の聖書研究は大抵は来世抜きの研究である、所謂いわゆる現代人が嫌う者にして来世問題の如きはない、殊に来世に於ける神の裁判と聞ては彼等が忌み嫌って止まざる所である、故に彼等は聖書を解釈するに方て成るべく之れを倫理的に解釈せんとする、来世に関する聖書の記事は之れを心霊化スピリチュアライズせんとする、「心の貧しき者はさいわいなり、天国は即ち其人のものなれば也」とあれば、天国とは人の心の福なる状態であると云う、人類の審判に関わるイエスの大説教(馬太伝二十四章・馬可マルコ伝十三章・路加伝二十一章)は是猶太思想の遺物なりと称して、之を以てイエスの熱心を賞揚すると同時に彼の思想の未だ猶太思想の旧套を脱卻する能わざりしを憐む、彼等は神の愛を説く、其怒を言わない、「それ神の震怒いかりは不義をもて真理を抑うる人々に向って天より顕わる」とのパウロの言の如きは彼等の受納うけざる所である(羅馬書一章十八節)、斯して彼等は―是等の現代人等は―浅く民の傷を癒して平康やすきなき所に平康平康やすしやすしと言うのである、彼等は自ら神の寵児なりと信じ、来世の裁判の如きは決して彼等に臨まざることと信ずるのである、然し乍ら基督者クリスチャンと は素々是等現代人の如き者ではなかった、彼等は神の愛を知る前に多く神を懼れたる者である、「活ける神の手に陥るは恐るべき事なり」とは彼等共通の信念で あった、彼等がイエスを救主として仰いだのは此世の救主、即ち社会の改良者、家庭の清洗者、思想の高上者として仰いだのではない。殊に来らんとする神の震怒いかりの日に於ける彼等の仲保者又救出者として仰いだのである、「千世経し磐よ我を匿せよ」との信者のさけびは殊に審判さばきの日に於て発せらるべきものである、而して此観念が強くありしが故に彼等の説教に力があったのである。方伯つかさペリクス其妻デルシラと共に一日パウロを召してキリストを信ずるの道を聴く、時に


パウロ公義と樽節と来らんとする審判とを論ぜしかばペリクス懼れて答えけるは汝しばらく退け、我れ便時よきときを得ば再び汝を召さん、
とある(行伝二十四章二十四節以下)、而して今時いまの説教師、其新神学者高等批評家、其政治的監督牧師伝道師等に無き者は方伯等を懼れしむるに足るの来らんとする審判に就ての説教である、彼等は忠君を説く、愛国を説く、社交を説く、慈善を説く、廓清を説く、人類の進歩を説く、世界の平和を説く、然れども来らんとする審判を説かない、彼等は聖書聖書と云うと雖も聖書を説くに非ずして、聖書を使うて自己の主張を説くのである、願くば余も亦彼等の一人としてのこることなく、神の道をみださ ず真理を顕わし明かに聖書の示す所を説かんことを、即ち余の説く所の明に来世的ならんことを、主の懼るべきを知り、活ける神の手に陥るの懼るべきを知り、 迷信を以て嘲けらるるに拘わらず、今日と云う今日、大胆に、明白に、主の和らぎの福音を説かんことを(哥林多後書五章十八節以下)。

2012年8月3日金曜日

内村鑑三の「聖書の読方」その8

其他「人情的福音書」、「婦人の為にせる福音書」と称えらるる路加伝が来世と其救拯すくい審判さばきとに就て書記かきしるす事は一々茲に掲ぐることは出来ない、若し読者が閑静なる半日を選び之を此種の研究に消費せんと欲するならば路加伝の左の章節は甚大なる黙想の材料を彼等に供えるであろう[#「あろう」は底本では「あらう」]


路加伝に依る山上の垂訓。六章二十節以下二十六節まで、馬太伝のそれよりも更らに簡潔にして一層来世的である。
隠れたるものにして顕われざるは無しとの強き教訓。十二章二節より五節まで、明白に来世的である。
キリストの再臨に関する警告二つ。同十二章三十五節以下四十八節まで。ついでに「小き群よおそるるなかれ」との慰安に富める三十二節、三十三節に注意せよ。

人は悔改めずば皆な尽く亡ぶべしとの警告。十三章一節より五節まで。
救わるる者は少なき乎との質問に答えて。同十三章二十二節より三十節まで。
天国への招待。十四章十五節―二十四節。
天国実現の状況。十七章二十節―三十七節。
財貨委託の比喩。十九章十一節―二十七節。
復活者の状態。二十章三十四節―三十八節。
エルサレムと世界の最後。終末に関する大説教である、二十一章七節より三十六節まで。

勿論以上を以て尽きない、全福音書を通じて直接間接に来世を語る言葉は到る所に看出さる、而して是は単に非猶太的なる路加伝に就て言うたに過ぎない、新約聖書全体が同じ思想を以て充溢みちあふれて居る、即ち知る聖書は来世の実現を背景として読むべき書なることを、来世抜きの聖書は味なき意義なき書となるのである、「我等主の懼るべきを知るが故に人に勧む」とパウロは言うて居る(哥林多後五の十一)、「おそるべき」とは此場合に於ては確かに終末おわりの審判の懼るべきを指して言うたのである(十節を見よ)、慕うべくして又懼るべき来世を前に控えて聖書殊に新約聖書は書かれたのである、故に読む者も亦同じ希望と恐怖とを以て読まなければならない、然らざれば聖書は其意味を読者に通じないのである。

2012年8月2日木曜日

内村鑑三の「聖書の読方」その7

同三章五節、六節に於てルカは預言者イザヤの言を引いて曰うて居る、曰く

すべての谷は埋られ、諸の山と崗とはたいらげられ、屈曲まがりたるは直くせられ、崎嶇けわしきやすくせられ、諸の人は皆神の救を見ることを得ん

と、大切なるは後の一節である、「諸の人」即ち万人よろずのひとは 神の救を見ることを得んとの事である、是未だ充たされざる預言であって、キリストの再現を俟ちて事実として現わるべき事である、全世界に今や三億九千万の 基督信者ありとのことなれども是れ世界の人口の四分の一に過ぎない、而して四億近くの基督信者中其の幾人が真に神の救を見ることを得しや知る人ぞ知るであ る、而して「すべての人」と云えば過去の人をも含むのであって、彼等も亦何時か神の救を見ることを得べしと云う、而して是れ現世このよに於て在るべき事でないことは明瞭あきらかである、基督教会が其伝道に由て「諸の人」に神の救を示すべしとは望んで益なき事である、而かも神は福音を以て人をさばき給うにあたりて、一度はまことの福音を之に示さずしては之を鞫き給わないのである、茲に於てか何時か何処かですべての人が皆神の救を見ることの出来る機会があたえられざるを得ないのである、而して斯る機会が全人類に供えらるべしとは神が其預言者等を以て聖書に於て明に示し給う所である、而して路加伝の此一節も亦此事を伝うる者である、


人の子己の栄光をもてもろもろ聖使きよきつかいを率い来る時、彼れ其栄光の位に坐し、万国の民をその前に集め、羊をう者の綿羊と山羊とを別つが如く彼等を別ち云々、

と馬太伝二十五章にあることが路加伝の此所にも簡短に記されてあるのである、未来の大審判を背景として読みて此一節も亦深き意味を我等の心に持来すのである。

2012年8月1日水曜日

内村鑑三の「聖書の読方」その6

彼(イエス)はヤコブの家をかぎりなく支配すべく又その国終ることあらざるべし
とある言は確かにメシヤ的即ち来世的の言である(一章三十三節)、神の言葉として是は勿論追従の言葉ではない、又比喩的に解釈せらるべきものではない、何時か事実となりて現わるべき言葉である、然るに今時いまは 如何と云うに、イエスの死後千九百年後の今日、彼は猶太人全体に斥けられこそすれ「ヤコブの家を窮なく支配す」と云いて猶太人の王ではないのである、又 「その国終ること有らざるべし」とあるも実はキリストの国と称すべき者は今日と雖も未だ一もないのである、基督教国基督教会孰れも皆な名のみのキリストの 国である、真実のキリストは彼等に由てけがされ彼等の斥くる所となりつつあるのである、依て知る路加伝冒頭の此一言も亦未来を語る言として読むべきものであることを、イエスは第二十世紀の今日今猶お顕わるべきものである、彼の国は今猶おきたるべき者である、而して其の終に臨るや、此世の国と異なり百年や千年で終るべき者ではない、是は文字通り永遠に継続つづくべき者である、而して信者は忍んで其建設を待望む者である。