2012年8月13日月曜日

デンマルク国の話、その5

越王勾践こうせん呉を破りて帰るではありません、デンマーク人は戦いに敗れて家に還ってきました。還りきたれば国は荒れ、財は尽き、見るものとして悲憤失望の種ならざるはなしでありました。「今やデンマークにとり悪しき日なり」と彼らは相互に対していいました。この挨拶あいさつに対して「いな」と答えうる者は彼らのなかに一人もありませんでした。


しかるにここに彼らのなかに一人の工兵士官がありました。彼の名をダルガス(Enrico Mylius Dalgas)といいまして、フランス種のデンマーク人でありました。彼の祖先は有名なるユグノー党の一人でありまして、彼らは一六八五年信仰自由のゆえをもって故国フランスをわれ、あるいは英国に、あるいはオランダに、あるいはプロイセンに、またあるいはデンマークに逃れきたりし者でありました。


ユグノー党の人はいたるところに自由と熱信と勤勉とを運びました。英国においてはエリザベス女王のもとにその今や世界に冠たる製造業を起しました。その他、オランダにおいて、ドイツにおいて、多くの有利的事業は彼らによって起されました。ふるき宗教を維持せんとするの結果、フランス国が失いし多くのもののなかに、かの国にとり最大の損失と称すべきものはユグノー党の外国脱出でありました。しかして十九世紀の末に当って彼らはいまだなおその祖先の精神を失わなかったのであります。


ダルガス、としは今三十六歳、工兵士官として戦争に臨み、橋を架し、道路を築き、みぞを掘るの際、彼はこまかに彼の故国の地質を研究しました。しかして戦争いまだ終らざるに彼はすでに彼の胸中に故国恢復かいふくの策を蓄えました。すなわちデンマーク国の欧州大陸につらなる部分にして、その領土の大部分を占むるユトランド(Jutland)の荒漠を化してこれを沃饒よくにょうの地となさんとの大計画を、彼はすでに彼の胸中に蓄えました。ゆえに戦い敗れて彼の同僚が絶望に圧せられてその故国に帰りきたりしときに、ダルガス一人はそのおも微笑えみたたえそのこうべに希望の春をいただきました。

0 件のコメント:

コメントを投稿