同三章五節、六節に於てルカは預言者イザヤの言を引いて曰うて居る、曰く
諸の谷は埋られ、諸の山と崗とは夷げられ、屈曲たるは直くせられ、崎嶇は易くせられ、諸の人は皆神の救を見ることを得ん
と、大切なるは後の一節である、「諸の人」即ち
万人は
神の救を見ることを得んとの事である、是未だ充たされざる預言であって、キリストの再現を俟ちて事実として現わるべき事である、全世界に今や三億九千万の
基督信者ありとのことなれども是れ世界の人口の四分の一に過ぎない、而して四億近くの基督信者中其の幾人が真に神の救を見ることを得しや知る人ぞ知るであ
る、而して「
諸の人」と云えば過去の人をも含むのであって、彼等も亦何時か神の救を見ることを得べしと云う、而して是れ
現世に於て在るべき事でないことは
明瞭である、基督教会が其伝道に由て「諸の人」に神の救を示すべしとは望んで益なき事である、而かも神は福音を以て人を
鞫き給うに
方て、一度は
真の福音を之に示さずしては之を鞫き給わないのである、茲に於てか何時か何処かで
諸の人が皆神の救を見ることの出来る機会が
供えられざるを得ないのである、而して斯る機会が全人類に供えらるべしとは神が其預言者等を以て聖書に於て明に示し給う所である、而して路加伝の此一節も亦此事を伝うる者である、
人の子己の栄光をもて諸の聖使を率い来る時、彼れ其栄光の位に坐し、万国の民をその前に集め、羊を牧う者の綿羊と山羊とを別つが如く彼等を別ち云々、
と馬太伝二十五章にあることが路加伝の此所にも簡短に記されてあるのである、未来の大審判を背景として読みて此一節も亦深き意味を我等の心に持来すのである。
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