2012年8月19日日曜日

デンマルク国の話、その11

若きダルガスはいいました、大樅がある程度以上に成長しないのは小樅をいつまでも大樅のそばにはやしておくからである。もしある時期に達して小樅をり払ってしまうならば大樅はひとり土地を占領してその成長を続けるであろうと。
しかして若きダルガスのこの言を実際にためしてみましたところが実にそのとおりでありました。小樅はある程度まで大樅の成長をうながすの能力ちからを持っております。しかしその程度に達すればかえってこれを妨ぐるものである、との奇態きたいなる植物学上の事実が、ダルガス父子によって発見せられたのであります。


しかもこの発見はデンマーク国の開発にとりては実に絶大なる発見でありました、これによってユトランドの荒地挽回ばんかいの難問題は解釈されたのであります。


これよりして各地に鬱蒼うっそうたる樅の林を見るにいたりました。一八六〇年においてはユトランドの山林はわずかに十五万七千エーカーに過ぎませんでしたが、四十七年後の一九〇七年にいたりましては四十七万六千エーカーの多きに達しました。しかしこれなお全州面積の七分二厘に過ぎません。さらにダルガスの方法にしたがい植林を継続いたしますならば数十年の後にはかの地に数百万エーカーの緑林を見るにいたるのでありましょう。
実に多望といいつべしであります。

2012年8月18日土曜日

デンマルク国の話、その10

しかしダルガスの熱心はこれがためにくじけませんでした。彼は天然はまた彼にこの難問題をも解決してくれることと確信しました。ゆえに彼はさらに研究を続けました。しかして彼の頭脳あたまにフト浮び出ましたことはアルプス産の小樅こもみでありました。もしこれを移植したらばいかんと彼は思いました。しかしてこれを取りきたりてノルウェー産の樅のあいだに植えましたときに、奇なるかな、両種の樅は相いならんで生長し、年を経るも枯れなかったのであります。ここにおいて大問題はけました。ユトランドの荒野に始めて緑の野を見ることができました。緑は希望の色であります。ダルガスの希望、デンマークの希望、その民二百五十万の希望は実際に現われました。

 しかし問題はいまだまったく釈けませんでした。緑のはできましたが、緑のはできませんでした。ユトランドの荒地より建築用の木材をも伐り得んとのダルガスの野心的欲望は事実となりて現われませんでした。もみはある程度まで成長して、それで成長を止めました、その枯死かれることはアルプス産の小樅こもみ併植へいしょくをもってふせぎ得ましたけれども、その永久の成長はこれによって成就とげられませんでした。「ダルガスよ、汝の預言せし材木を与えよ」といいてデンマークの農夫らは彼に迫りました。あたかもエジプトよりのがれ出でしイスラエルの民が一部の失敗のゆえをもってモーセを責めたと同然でありました。しかし神はモーセの祈願ねがいを聴きたまいしがごとくにダルガスの心の叫びをも聴きたまいました。黙示は今度は彼にのぞまずして彼の子に臨みました、彼の長男をフレデリック・ダルガスといいました。彼は父のたちを受けて善き植物学者でありました。彼はもみの成長について大なる発見をなしました。

2012年8月17日金曜日

デンマルク国の話、その9

まず溝を穿うがちて水を注ぎ、ヒースと称する荒野の植物を駆逐し、これに代うるに馬鈴薯じゃがたらいもならびに牧草ぼくそうをもってするのであります。このことはさほどの困難ではありませんでした。


しかし難中の難事は荒地に樹を植ゆることでありました、このことについてダルガスは非常の苦心をもって研究しました。植物界広しといえどもユトランドの荒地に適しそこに成育してレバノンの栄えをあらわす樹はあるやなしやと彼は研究に研究を重ねました。


しかして彼の心に思い当りましたのはノルウェー産のもみでありました、これはユトランドの荒地に成育すべき樹であることはわかりました。しかしながら実際これを試験ためしてみますると、思うとおりには行きません。樅はえはえまするが数年ならずして枯れてしまいます。ユトランドの荒地は今やこの強梗きょうこうなる樹木をさえ養うに足るの養分をのこしませんでした。

2012年8月16日木曜日

デンマルク国の話、その8

ユトランドはデンマークの半分以上であります。しかしてその三分の一以上が不毛の地であったのであります。面積一万五千平方マイルのデンマークにとりましては三千平方マイルの曠野は過大の廃物であります。これを化して良田沃野となして、外に失いしところのものを内にありてつぐなわんとするのがそれがダルガスの夢であったのであります。


しかしてこの夢を実現するにあたってダルガスのるべき武器はただ二つでありました。その第一は水でありました。その第二はでありました。荒地に水をそそぐを得、これに樹を植えて植林の実を挙ぐるを得ば、それでことは成るのであります。ことはいたって簡単でありました。しかし簡単ではあるが容易ではありませんでした。
世にぎょし難いものとて人間の作った沙漠のごときはありません。もしユトランドの荒地がサハラの沙漠のごときものでありましたならば問題ははるかに容易であったのであります。天然の沙漠は水をさえこれにそそぐを得ばそれでじきに沃土よきつちとなるのであります。


しかし人間の無謀と怠慢とになりし沙漠はこれを恢復するにもっとも難いものであります。しかしてユトランドの荒地はこの種の荒地であったのであります。今より八百年前の昔にはそこに繁茂せる良き林がありました。しかしてくだって今より二百年前まではところどころに樫の林を見ることができました。しかるに文明の進むと同時に人の欲心はますます増進し、彼らは土地より取るにきゅうにしてこれにむくゆるにかんでありましたゆえに、地は時を追うてますます瘠せ衰え、ついに四十年前の憐むべき状態ありさまに立ちいたったのであります。


しかし人間の強欲をもってするも地は永久に殺すことのできるものではありません。神と天然とが示すある適当の方法をもってしますれば、この最悪の状態においてある土地をも元始はじめの沃饒に返すことができます。まことに詩人シラーのいいしがごとく、天然には永久の希望あり、壊敗はこれをただ人のあいだにおいてのみ見るのであります。

2012年8月15日水曜日

デンマルク国の話、その7

しかしダルガスはただに預言者ではありませんでした。彼は単に夢想家ゆめみるものではありませんでした。工兵士官なる彼は、土木学者でありしと同時に、また地質学者であり植物学者でありました。彼はかのごとくにして詩人でありしと同時にまた実際家でありました。


彼は理想を実現するの
すべを知っておりました。かかる軍人をわれわれはときどき欧米の軍人のなかに見るのであります。軍人といえば人を殺すの術にのみ長じている者であるとの思想は外国においては一般に行われておらないのであります。

2012年8月14日火曜日

デンマルク国の話、その6

「今やデンマークにとり悪しき日なり」と彼の同僚はいいました。
「まことにしかり」とダルガスは答えました。
「しかしながらわれらは外に失いしところのものを内において取り返すをべし、君らと余との生存中にわれらはユトランドの曠野を化して薔薇バラの花咲くところとなすを得べし」と彼は続いて答えました。


この工兵士官に預言者イザヤの精神がありました。彼の血管に流るるユグノー党の血はこの時にあたって彼をして平和の天使たらしめました。他人の失望するときに彼は失望しませんでした。彼は彼の国人が剣をもって失ったものをすきをもって取り返さんとしました。今や敵国に対して復讐戦ふくしゅうせんを計画するにあらず、すきくわとをもって残る領土の曠漠と闘い、これを田園と化して敵に奪われしものを補わんとしました。まことにクリスチャンらしき計画ではありませんか。真正の平和主義者はかかる計画に出でなければなりません。

2012年8月13日月曜日

デンマルク国の話、その5

越王勾践こうせん呉を破りて帰るではありません、デンマーク人は戦いに敗れて家に還ってきました。還りきたれば国は荒れ、財は尽き、見るものとして悲憤失望の種ならざるはなしでありました。「今やデンマークにとり悪しき日なり」と彼らは相互に対していいました。この挨拶あいさつに対して「いな」と答えうる者は彼らのなかに一人もありませんでした。


しかるにここに彼らのなかに一人の工兵士官がありました。彼の名をダルガス(Enrico Mylius Dalgas)といいまして、フランス種のデンマーク人でありました。彼の祖先は有名なるユグノー党の一人でありまして、彼らは一六八五年信仰自由のゆえをもって故国フランスをわれ、あるいは英国に、あるいはオランダに、あるいはプロイセンに、またあるいはデンマークに逃れきたりし者でありました。


ユグノー党の人はいたるところに自由と熱信と勤勉とを運びました。英国においてはエリザベス女王のもとにその今や世界に冠たる製造業を起しました。その他、オランダにおいて、ドイツにおいて、多くの有利的事業は彼らによって起されました。ふるき宗教を維持せんとするの結果、フランス国が失いし多くのもののなかに、かの国にとり最大の損失と称すべきものはユグノー党の外国脱出でありました。しかして十九世紀の末に当って彼らはいまだなおその祖先の精神を失わなかったのであります。


ダルガス、としは今三十六歳、工兵士官として戦争に臨み、橋を架し、道路を築き、みぞを掘るの際、彼はこまかに彼の故国の地質を研究しました。しかして戦争いまだ終らざるに彼はすでに彼の胸中に故国恢復かいふくの策を蓄えました。すなわちデンマーク国の欧州大陸につらなる部分にして、その領土の大部分を占むるユトランド(Jutland)の荒漠を化してこれを沃饒よくにょうの地となさんとの大計画を、彼はすでに彼の胸中に蓄えました。ゆえに戦い敗れて彼の同僚が絶望に圧せられてその故国に帰りきたりしときに、ダルガス一人はそのおも微笑えみたたえそのこうべに希望の春をいただきました。